特集2
端午の節句
画像をクリックすると詳しい説明が表示されます。

MENU

home
リビング
スタイリッシュ
アジアン
和 
ダイニング
スタイリッシュ
アジアン
和 風
食 器
キッチン・バス
調理器具
キッチン家電
キッチン雑貨
バス・トイレ用品
ベッドルーム
ベッド・ランプ
カバー
ラグ
玄関・庭
玄 関
フレグランス
お香
アロマ
その他の雑貨
収 納
時 計
ミラー
観葉植物
小さいもの
大きいもの
花 器



端午の節句と言えば五月人形ですね。しかし、何段もある五月人形を置くスペースがない、または、数日しか飾らないのに出し入れが面倒だし収納スペースにも困る・・・。昔と違って現代ではこんな声をよく聞くようになりました。このようにお考えの方は、本格的な鎧兜を1領飾ってみてはいかがでしょうか。戦国武将の現存する鎧兜を細部にいたるまで忠実に再現されたものを紹介いたします。五月の節句に限らず年中飾っても部屋のオブジェになりますよ。

端午の節句とは

端午の節句は、平安時代の宮中行事に始まり、江戸時代になって男の子の厄除けと健康祈願のお祝いとして庶民の間にも定着したお祝いです。
鎧兜が現在のような形で飾られるようになったのは、古くから命を守る象徴として考えられていたため、男の子を事故や災害から守るものと捉えられたからだと言われます。実際に武田信玄愛用の「楯無の鎧(楯をも必要としない頑強な鎧と言う意味)」は、代々武田家のご神体で、現在も山梨県塩山市の菅田天神社に奉られています。他にも多くの鎧兜が、国宝やご神体として各地の神社仏閣で奉られています。この考え方から現在でも端午の節句では、事故や病気から子供を護ってくれるようにという願いを込めて兜や鎧武者を飾っているというわけです。したがって端午の節句は単なるお祭りではなく、お七夜やお宮参りと同じく男の子のたくましい成長を願う行事ですので、気持ちの問題ですが、省略せずきちんとお祝いしてあげてください。

稚児鎧 3〜7歳までのお子様を対象とした着用可能の小さいサイズです。

源 義経 大鎧写し
源義経が源平合戦に勝利した祝いに奉納させたと伝わる鎧で、国宝として大山祇神社に奉納されている鎧の写し。義経がこの鎧を身につけて、船八艘を飛び越えたという言い伝えから【八艘飛びの鎧】とも呼ばれています。
Click Here!
足利尊氏 大鎧写し
鎌倉幕府を打ち滅ぼし室町幕府を起こした尊氏の鎧兜は、現存は確認されていませんが、これは「騎馬武者図屏風」に描かれている尊氏の鎧兜を再現したもののようです。

徳川家康 大黒頭巾写し
徳川家康が関ヶ原の合戦で実際に着用した具足の写し。黒の頭巾をかたどった兜が家康らしいです。徳川家では縁起の良い具足として大切にされてきました

武田信玄 鎧写し
武田の始祖以来、代々武田家の重宝として伝来された【楯無(たてなし)】と号される具足。武田信玄のトレードマークですが実際は着用せずご神体として祭っていたようです。
Click Here!
上杉謙信 鎧写し
上杉謙信と言えば僧兵のような白い頭巾のイメージが強いですが、神仏を飾った兜をかぶっていたようです。現在も山形県米沢市の上杉神社に祭られています。

伊達政宗 五枚胴具足写し
特長ある5枚胴(胴を5分割になるように製作)は政宗が鎌倉の腕利き甲冑師に製作させた雪之下具足と呼ばれる実戦向きの胴。おなじみの兜は、「曇りなき心の月で浮世を照らす」という意味。
Click Here!
本金箔押 前田利家写し
佐々成政に攻められた前田家所領の末森城を守り抜いた際、入城した時に利家が着用したと伝えられる具足の写し。現在も前田家に伝わり資料館に納められています。
Click Here!
直江兼続 胸取二枚胴写
上杉家の家臣で文武に秀でた名将
兼続の兜には
「愛」の字が金色に輝いています。愛染明王からとったとのこと。兼続は家臣を愛し妻も生涯一人だけを愛したことからも象徴的です。
Click Here!
黒田長政 当世具足写し
秀吉時代の長政は秀吉に使え朝鮮出兵で猛将ぶりを発揮。関ヶ原の合戦では徳川方につき豊臣方の武将を徳川に寝返らせた知将でもある。この兜は福岡市博物館に展示されています。

当世具足
 実在する鎧兜を再現した原寸大、大人着用可能サイズです。部屋に飾ると迫力があります。
Click Here!
本多忠勝 当世具足写し
57回の戦で傷ひとつ負わなかったという徳川四天王のひとり忠勝の具足は肖像画や長篠合戦図屏風にも描かれています。具足自体も本多家に今も受け継がれています。
Click Here!
井伊直政 当世具足写し
徳川四天王のひとり直政は戦で体中傷だらけになりながらも先頭を走った果敢な武将。武田滅亡後武田家臣団を受け継ぎ軍を赤に統一。井伊家では兜の金の脇立ては総大将の印です。
Click Here!
福島正則 当世具足写し
豊臣秀吉に仕えた猛将。賤ヶ岳の戦いでは七本槍の筆頭と賞された。兜は黒田長政のものです。元禄の役で共に戦ったお互いの功を称え兜を交換したエピソードがあります。
Click Here!
武田信玄 当世具足写し
武田の始祖以来、代々武田家の重宝として伝来された【楯無(たてなし)】と号される具足。武田信玄のトレードマークですが実際は着用せずご神体として祭っていたようです。
Click Here!
豊臣秀吉 当世具足写し
農民から天下人にまでのし上がった秀吉の具足の写し。日が差すような兜は桃山時代の流行だったようですが今では秀吉の象徴。現在も大阪城天守閣に兜が展示されています。

伊達政宗 当世具足写し
特長ある5枚胴(胴を5分割になるように製作)は政宗が鎌倉の腕利き甲冑師に製作させた雪之下具足と呼ばれる実戦向きの胴。おなじみの兜は、「曇りなき心の月で浮世を照らす」という意味。

真田幸村 鉄錆地二枚胴具足
大坂冬の陣・夏の陣で徳川家康にひと泡もふた泡もふかせ、単独で本陣に迫り敗走させたという幸村の具足の写し。現在も大阪城天守閣に展示されています。
Click Here!
加藤清正 具足写し
伝統的な五月人形には加藤清正の人形を飾るものが多い。それくらい武勇の象徴とされる武将。武勇だけではなく新田開発や治水工事にも才能を発揮。

徳川家康 金溜塗具足写し
通称金陀美具足。19歳の家康が桶狭間の戦いで大高城へ兵糧を輸送した際に着用していた甲冑で【大高城兵糧入れ具足】とも呼ばれる。現在も静岡県久能山東照宮博物館に展示されています。


初めての方へご意見・ご感想

(C) 2005 快適 Life Space. All right reserved.